begin
to grow
――これは、どういう状況なんだ?
刹那・F・セイエイは混乱する頭を抱え、目の前の男を呆然と眺めた。
吐息もかかるほど近くにあるその男の名は、ロックオン・ストラトス。刹那と彼は同組織内の仲間で、共に幾つもの死線をくぐり抜けてきた戦友でもある。
しかし彼のデータと言えば、そのコードネームと年齢、そして接していれば判る性格だけのようなものだ。刹那たちの所属する組織、ソレスタル・ビーイングはほとんど人員に対しては知っていることはなく、マイスターたちの素性と言えばSレベルの機密事項、つまり決して明かしてはいけないことなのである。
だからロックオンと刹那は肩を並べて戦地で戦うという信頼なしではやっていけないが、休暇中や個人のことは最低限も語らないと言う近いようでドライな関係だった。
ましてこんな状況になろうことは誰も予想していなかったに違いない。
こんな、朝同じベッドでロックオンの腕の中に包まれ目覚めるなどという状況には。
状況説明はさておき、刹那は手を振り払うことも出来ず、ロックオンを起こすことも出来ず、ただ背中を流れる冷たい汗の感覚を味わいながら硬直していた。
昨晩は確か眠気を覚えながらも汗が気になり、シャワー室へと向かったはず。そこで眠気覚ましに冷たいシャワーを浴びて…………そこから記憶がない。
状況から判断するならきっと刹那はシャワーを浴びつつ寝てしまったのだろう。そしてそれを発見したロックオンがベッドまで運んでくれたに違いない。違いない、が。
なぜ彼は刹那を刹那の自室に運ばなかったのだろうか?
なぜ抱いて寝ると言う発想になったのだろうか?
いや、それも大事だが刹那はシャワー中に発見されたのだ。だから彼が刹那を見つけたとき刹那は全裸だったわけで。
そこまで考えて、刹那は頭が真っ白になるほど頬が熱くなるのを感じた。
羞恥と嫌悪でぐじゃぐじゃになった脳内が、気持ち悪いほど痛む。
恥ずかしさで涙が出そうになったとき、頭の上から呼吸のリズムが崩れる音が聞こえた。
息を吸い、小さく唸った後、ロックオンの身体が動いた。
刹那は呼吸を詰め、目の前にある彼の胸板を見詰めていた。
「う……ん」
上側の腕が伸び、彼の体が動く。どうやら完全に起きたようだ。
「刹那? 起きてたのか?」
呑気な質問に、刹那は寝転んだまま彼を睨んだ。頬が見て取れるほどに紅潮している。
「なんで、俺はこんな所にいるんだ?」
「うん? 覚えてないのか? 昨夜シャワー室で倒れてて」
「それは判る。そうじゃなく、なんであんたの部屋で寝てるんだ」
ロックオンは瞬きを数回した後、何事もなしに答えた。
「お前冷水浴びたまま寝てたからさ、体がすごく冷え切ってたんだよ。だから温めた方がいいと思ってな」
理由は判った。理由は判ったがそれで納得できるほど刹那は大人ではなかった。
羞恥と気まずさから、刹那は目元の険を強くする。
「なんだ、お前。何怒ってんだ?」
「別に怒っていない」
完全に怒っているが、それを否定してベッドから降りようとシーツを跳ねる。
すると刹那は下着は穿いているものの、ロックオンのTシャツ一枚と言う格好だったことに気付く。
「…………っ!」
思わず硬直する。
「服ぐらい着せろ!」
「着せてるじゃねえか。それ、新しいぞ」
「そういう問題じゃない! ……なにもしてないだろうな」
最後の言葉にロックオンは首を捻る。しばらく考え、思い当たったような顔をした。
そしてロックオンはひとつ悪戯を思いついたように、意地の悪そうな笑みをした。
「してたら、どうする?」
「なっ!」
刹那は目で見えるところを全て紅くして固まる。
普段無表情を装っている彼がこんな反応に出るのが楽しくて、ロックオンは後ろから刹那に抱きついた。
「お前さん結構抱き心地良かったしなぁ。腰とかめちゃくちゃ細いよなあ」
「おま……っ、離せ!」
つぃ、と首筋を撫でると、ピクン、と反応する。
Tシャツ一枚で、真っ赤になってたじろぐその姿は、とても艶かしく色っぽかった。
ロックオンは自分の中で、意思とは関係なく滾ってくるものに内心驚いていた。
最初はからかっていただけだが、本気で抱きたいと思うように徐々に思考が入れ替わってくる。
試しに首筋に舌を這わせると、あ、と声が漏れ、刹那の体が大きく震える。
(なんだ、刹那ってこんな子だったか?)
いつもと違い、彼の声にそそられる。
自分の知らない刹那を見て、もっと見たいと思うようになった。
昨日彼の裸を見たときとは違う、もっと艶のある姿が見たい。
「……ロックオン!」
思わず刹那の身体をベッドへと押し付ける。非難の声も、下から見上げえてくる流し目も、何もかもがロックオンを奮い立たせた。
明らかに雰囲気の変わったロックオンに、刹那は焦りを感じていた。
過去の記憶が蘇る。KPSA、少年兵をしていた頃、こんなことは日常茶飯事だった。
毎晩大人の相手をするため、幼い兵隊たちは選ばれ、部屋へと運ばれる。
刹那はその中でも首領格のお気に入りで、毎晩のように代わる代わる犯された。
またなのか、またあんなことを繰り返すのか。
刹那の中に昔の恐怖が蘇ってくる。体がすくんで動かない。
ここにきて、そんな事はなくなった。そういう事で他人を犯そうなどという考えを持つ人間がいないからだ。
嫌だ、嫌だ、もうあんな思いをするのは。
もう、もう……。
刹那の瞳に恐怖が見えた。眦に涙が浮かび、頬を流れた。
その姿を見て、ロックオンははっとしたように身体を強張らせる。
「……刹那」
普段彼の泣く姿ど見たことがない。眉を吊り、なにを敵に回しても悠然と向かっていきそうな目をしている。
その刹那が、泣いた。
顔を恐怖に引きつらせ、肩を震わせて泣いている。
ロックオンは刹那の身体を起こし、抱きしめる。
「刹那。刹那、ごめん。ちょっと調子に乗りすぎた」
刹那は喉を震わせ、嗚咽を洩らしながら毒づいた。
「この……馬鹿が」
「うん、ごめん」
刹那の肩が必要以上に小さく見え、とてつもない愛おしさが生まれる。
ロックオンは刹那の身体を掻き抱くように抱えた。
「でも、刹那は綺麗だな」
「……え?」
「マジで、惚れそう」
「! 馬鹿言うな!」
ロックオンを振り払い、刹那は後ろを向いた。引きつる喉を懸命に抑え、零れる涙を手の甲で払う。
「俺は汚れている。綺麗なんかじゃない」
「綺麗だよ」
ロックオンは刹那が痛くないように優しく、後ろから手を伸ばした。さらりと髪を撫でる。思った以上に柔らかかった。
ピクリとひとつ反応する。
「俺は……っ、沢山人を殺した。そんな奴が綺麗なわけないだろ」
くすり、とロックオンは笑った。刹那はまだ涙で濡れている目に険を滲ませ、彼に睨みつける。
「俺も、殺したよ?」
刹那は瞠目する。ロックオンの瞳はどこまでも穏やかだった。
「沢山殺した。何の恨みもない人間もな。でも刹那、人を殺したら人は堕ちるのか?」
刹那は戸惑うように瞳を震わせる。 ロックオンは刹那を自分の方に向けさせ、頬に手を滑らせた。
「確かに大切な何かを失う。でもな、失うことを、命がなくなることを知ってるんだ。人を殺したこともない人間よりも、大切な何かを知っているよ」
刹那は頬にある手に自分の手を添えた。温かい何かが込み上げてくる。いつも手袋に守られているロックオンの手は、トリガーを引き沢山の命を奪ってきた手は、大きくて、長くて、そしてとても綺麗だと思った。
「刹那の命は、とても綺麗だ」
そう言って笑うロックオンは、自分以上に綺麗な魂を持っているような気がしていけない。
ロックオンは親指をそっと口元まで滑らせ、刹那の唇に触れた。
「刹那、キスしていい?」
驚いた様に目を開く。そしてしばらく考えるように目を伏せると、そっと目を瞑った。
ぐっと口を一文字に引き締め、目を瞑って震える姿は、どこまでも魅力的だ。ロックオンは薄く笑うと、瞼を落として唇を重ねた。
一瞬ビクっと怯えたように反応したが、その後は素直に口を預けてくる。ロックオンは刹那を怖がらせないように、ゆっくりと唇を舐め、ちゅ、と音をさせて口を離した。
とろんした目で、刹那はぼぉっとロックオンを見る。そして意外そうに呟いた。
「お前のキスは、優しいな」
「激しいキスがお望みならそっちもいけるけど」
「いや……」
刹那はロックオンの傍から離れ、ベッドを降りる。少々名残惜しいように思ったが、ロックオンは服の場所を手で示す。
「着替えるから」
ロックオンは慌てたように後ろを向いた。
衣擦れの音が気が気でなかったが、刹那がこんなに弱そうに見えたのも初めてで、こんなに意識したことも初めてだったので、とりあえず刹那に話しかけた。
「なあ」
「なんだ」
続きが思い浮かばないでいると、刹那はふと言った。
「あんな優しいキスは初めてだった……」
今までの生活を思い、ふと胸が痛んだ。
「刹那、また、お前を抱いて寝ていいか?」
「…………」
「ああ、もちろん変なことはしないからさ」
慌てたように付け足すと、部屋の扉が開く音がする。こっそりとため息をつくと、小さい声で返事があった。
「次の日に任務がなければな」
ドアの閉め方がなんだか照れてるように聞こえて、承諾を貰ったことも驚きで、ロックオンは曖昧そうな顔で部屋のドアを見る。そこには丁寧にたたまれたロックオンのTシャツがベッドの上に置いてあるだけだった。
fin..