道しるべ
歌が聴こえる。大きな広葉樹のざわめきを縫い、低く響く声。
心地よく耳に届くその唄は、どこか寂しそうだと、茶の髪を風にはためかせ、ロックオン・ストラトスは思った。
声に導かれるように彼は歩を進めだす。ぬかるみを進んでいくと、徐々に景色が開けてきた。海岸に出ると、真赤に燃える大きな太陽が静かに海へと帰るところだった。空は薄く暗くなり、赤と言うよりも紫のような色になっている。海も朱く染まり、水面に映った太陽によって東の国で見た工芸品、ダルマのようになっていた。
開けた空に響く声は、白い砂浜の傍らに座った少年のものだった。褐色の肌に夜のような髪の少年は遠く空を見ながら呟くのような調子でメロディーを綴っている。呟くように、とはいえその声は空に、森に、海によく響き、魚さえも観客としてその場を彼の舞台としていた。
彼の故郷の歌なのか、歌詞はわからない。しかしそのメロディーは短調で、彼の口調からしても、決して縁起の良い歌ではないと判る。
一歩、また一歩と彼に近づく。あと数メートルと言うところで、彼は口を閉ざした。
ロックオンは立ち止まる。そして気付いているであろう、彼へと言葉を投げかけた。
「お前でも歌を歌うんだな、刹那」
刹那はロックオンを振り返り、目を伏せた。
ロックオンは砂がつくのも構わず、刹那の横へと腰を下ろす。
「いい声してるじゃないか。もったいない」
刹那は下げていた目線を上げ、水平線の遥か彼方を見通すように目を細めた。
血のように赤い夕陽をその目に移しながら無言で海を見詰める。ロックオンは彼に習って夕陽を見詰めた。
「……夕陽は、嫌いだ」
突如として刹那が声を出した。ロックオンはゆっくりと彼の方を向くと、優しげな双眸に彼を映す。
「赤いから、嫌いだ。」
真っ赤に染まりながら沈む夕陽は戦火に焼かれた人たちを思い出す。生きながら焼かれた人もいる。刹那自身も焼いたこともある。タンパク質の焦げる異臭を放ちながら、皮膚を爛れさせ、もがき、苦しみ、息をすることも忘れたように雄叫びをあげる。
そのときの声は、今でも耳に残っている。
また、夕陽は爆発の赤い煙も想い起こす。自分が落とした爆弾が、地を染める。蟻を潰すように銃弾を浴びせる。爆炎を赤く感じるのは、なぜだろう。それはきっと、人々の血に染まっているのだ。
「赤いだけならまだいい」
刹那は続ける。
「何度も、何度も、沈んだくせに昇ってくるのが嫌いだ。もう、昇らなくて良いのに」
何度も思う。
こんな歪んだ世界なら、いっそ明日が来なくてもいい。
いったいどうすれば歪みは消える?
憎しみのない、争いのない世界になる?
「時々、すごく怖くなる」
刹那は自分を抱きしめるように腕を寄せた。
「俺たちのしていることは、無意味なんじゃないかって」
下を向いたまま固まってしまった刹那の頭を、ロックオンの大きな手が撫でた。黒い癖毛のわりに柔らかく、サラリと指からこぼれる。
「刹那、さっきの歌は誰に教えて貰ったんだ?」
刹那が顔を上げると、優しく微笑んでいるロックオンの顔が見えた。翡翠のような瞳でまっすぐ見てくるロックオンの顔から目をそらし、少し赤く頬を染めた。
「判らない。世界のことを考えていたら、浮かんできた。母さんが生きてるときの記憶は、ほとんどないから」
最初で最後の記憶は、彼女に銃を向けているところ。
ソラン……ソラン……と繰り返し訴えかけた口を、自ら手で永久に黙らせた。
「歌詞、訳してくれる?」
ゆっくり語りかけるロックオンに頷き返し、刹那は言葉を紡ぎだした。
茨の道を進みましょう
裸足の足で進みましょう
棘は槍 血は毒
神々の槍を身体に突き刺し
身体の毒を流しましょう
それでも貴方が進むのならば
その手の炎を棘へと落とせ
炎は紅蓮に燃上がる
炎は渦へと変化する
足の痛みも糧とせよ
神の刃も糧とせよ
この道は何処へ続くのか
「茨の道、か」
ロックオンは苦笑を洩らしながら刹那の頭を軽く叩いた。
刹那は不安げな瞳でロックオンを仰いだ。
「確かにそうかもしれないな。俺たちの進む道は業の道だ。でもな、刹那」
刹那の肩を胸の中に抱きこみ、ロックオンは囁く。
「道である限り、必ずどこかに繋がっている」
ロックオンは彼の小さな背中を撫でた。
「それは破滅の道かもしれない。栄光かもしれない。でもその道はまだ続いていくんだ」
小さな手が服を掴む感覚がした。肩に力が入る。
「到着点の向こうにも、まだ道は続いている。どの道を行くかは、俺たちしだいだ」
くっ、とくぐもった声が聞こえた。泣いているのかもしれない。
「それに、俺だけはなにがあっても刹那と一緒に歩くから。裸足で茨の道を進むのが何だ。針の道だって進んでやる」
ロックオンが身体を離そうと肩に手を置くと、刹那は慌てて擦り寄ってきた。
「い、今はダメだ!」
「何がダメなんだ」
「とにかくダメなんだ! もう少し、このままで……」
再び抱きしめると、刹那は小さく肩を震わせてきた。
続いて聞こえる、小さな嗚咽。
そうだな、とロックオンは思った。
この小さな兵士は、ずっと進んできたんだ。針の道を。
まだ自分が母親に甘えていた頃から、愛情なんて知らずに。
ただ、がむしゃらに。
こうやって人前で涙を見せることすらできてなかったんじゃないか?
ロックオンは柔らかな髪を優しく撫でた。
迷わない人間なんていない。道を失ったときは、俺が灯りになってやる。
だから、この小さな男の子が笑顔で歌えるように。
今度は楽しい曲を歌えるように。
ずっと、そばで歩いていこう。
刹那の、すぐそばで――――――――――
fin..