消毒



 刹那・F・セイエイは今非常に困った状況にあった。
 吐息もかかろうかと言うほどに近くに迫った同僚、ロックオン・ストラトスの顔。懸命に押し返しているのでかろうじて触れてはいないが、少しでも気を緩ませば唇と唇が触れ合いそうなほどの距離。
 普段感情を見せない彼も、少しばかり焦りが見え始めた。
「ロックオン、今は待機中だ」
「知ってる」
 語気に怒りを込めた返事。怒りの理由は分かっている。先程、ネーナとか言う女にキスされてから、ロックオンの機嫌はすこぶる悪い。表面には出さないが、刹那には彼の周りに不吉な黒い雲が見えたような気がしていた。
 何故、他人にキスされて怒るか。それは誰でも判りえることだろうが、ロックオンが刹那に好意を抱いているからである。それはもう周知の事実なのだが、そうであっても今は待機中。いつスメラギ女史から連絡が入るか判らない。
 そんな現場を見られたとあっては刹那としては堪ったものじゃない。
 ロックオンとしては刹那と二人きりになれる機会を狙っていたのだろうが、今は紙ほどの理性の方がぷっつんきてしまっているらしい。普段は気配りに気をつけているのだが、空気数センチを壁として、頑として動かない。
「ロックオン、今は待機中だ」
 もう一度同じ事を言う。すると
「知ってる。しかし待機の後には任務、もしくはミーティング等々のことがあることも知っているんだな。と、言うわけでチャンスは今しかない!」
 と言う返事が返ってきた。
 何が、と、言うわけで、なのかは判らないが、チャンスという単語に背筋に悪寒が駆け抜けた。
「この……馬鹿が!」
 掛け声とともに足が出る。顎を蹴飛ばされたロックオンは、悲鳴とともに仰け反りかえった。
 しばらく顎をさすりながら低く呻いていたが、痛みが治まったのか姿勢を正して恨めしそうに見てきた。
「刹那は俺の事が嫌いなのか?」
 無視をして壁にもたれ掛かると、ロックオンは拗ねたように呟きだした。
「あの女とはしたのに、俺はだめなのかよ。せっちゃんの意地悪……」
 いい加減苛々してきたので、のの字を書いていた背中に蹴りを入れた。
「キスすことがダメなんじゃない。今は待機中だ。最中に連絡が来たらまずいだろう」
 そう言いながら少し顔が熱くなるのが分った。暗に待機中でなければ行為は別に構わないと言っているようなものだ。
5分とかからねえだろ?」
5分以上は必ずかかる。お前はいつもそのままずるずると最後まで持っていこうとするだろ」
 ロックオンは遠くを見たような目をして、あー、と事もなし気に呟いた。そして諦めたのか刹那の横に腰を下ろす。そのまま考え込むように顎に手を当てると何かに気付いたように刹那を省みた。
「刹那、そのわりに最後までいった記憶がない」
「当たり前だ、いってたまるか」
「何でだ!」
 大抵刹那が拒否の姿勢を出し、ロックオンが攻めつつも刹那が保守に回ってしまうという結果に終わる。今更ながらに気付いたロックオンだったが、急に疑問に思ったようで刹那に問い詰めてくる。
「手前まではいくのに、何故最後までいかねえんだ! 納得できん!」
 返事をするのが面倒くさくなったので、刹那はそっぽを向いて目を閉じた。その間にもロックオンは、何でだ! と連呼している。
「わかった、返事をしない気ならこの場で押し倒す」
 ドスの効いた声でぎょっと振り向く。急に彼の顔が眼前に迫る。そのまま彼の手が肩にかかり、背中が冷たい床に触れる。
 本当に押し倒されたと気付くまでに、刹那は数瞬かかった。
「ちょ……ロックオン!」
 冷静を装いながらも思考が沸騰する。
 ロックオンは刹那の耳朶を一舐めすると、低い声で囁いた。
「消毒が必要だろ?」
 背筋に痺れが走り、力が抜ける。
 ロックオンの声を心地よく思ってしまい、悔しいながらもキスを許してしまう。
 すぐさま舌が口内に入っていき、色々な角度から刹那を攻める。
「ふ……う、ん」
 口の中に唾液が広がっていき、飲み込めないそれが頬を伝う。
 呼吸が苦しくなってくると、ロックオンはいったん唇を離すが、刹那が息を整える前にまた口付ける。
 次第に身体が熱を帯びだすと、ロックオンはパイロットスーツの中に手を潜らせた。
 隙間のない服の間に滑り込んだ手は臍を一撫でし、下部に移動する。
「そんなトコはキスされてない……」
 喘ぎながら抗議をすると、ロックオンは当然と言った風に返してきた。
「ここまでしたら、俺がもたないから」
 勝手な主張に苛立ちを覚えながらも、一つ一つの動作に反応してしまう。
 しかしロックオンが刹那の上半身を(あらわ)にしたところで、いきなり声がした。
「ロックオン・ストラトス。刹那・F・セイエイ。待機の時間は終わりだ」
 そういって伝言に来たティエリア・アーデは部屋の中に入ってきた途端身体を強張らした。
刹那とロックオンは音を立てて固まる。
「…………」
「…………」
「………………ロックオン」
 無言の時間を遮り、刹那が静かに声を洩らした。
 ロックオンはぎぎぎと動かない首を刹那に向ける。
「俺は言ったはずだ。今は待機中だと」
「…………ロックオン・ストラトス」
 刹那の言葉の後に後ろからも声がする。
「あなたは、子供相手に何をしているのですか?」
 明らかに眉間に皺が寄っていると判る声で、ティエリアも問う。




 数秒後、トレミー内にロックオンの断末魔が響いた。


  fin..